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水戸弘道館

 地区福祉委員の研修会に参加した。市バスで水戸弘道館・黄門神社・県立近代美術館を巡った後 千波湖を散策するコース。

弘道館は3.11で大きく破損した、修復中に梅を観に訪れた。2014年 4億7千万かけた修復工事が完了した、どんな状態に復旧したのか見たいと思っていた、良い機会と研修会に参加した次第。

 10時20分、ボランティアガイドのWさんが自己紹介、昭和4年生まれとのこと、14年じゃないのと聞いてしまった。名解説のもと約1時間、玄関前 斉昭夫人由来の左近の桜のあと館内を案内してもらった。

 

綺麗に修復された正門

左近の桜;天保2年(1831年)斉昭夫人の登美宮(とみのみや)降嫁の折、仁孝天皇から京都御所の左近の桜の鉢植えを賜ったことにさかのぼる。

今の桜は3代目

 

この藩校は水戸藩第九代藩主 斉昭が1841年に開設した。正庁正席の間、諸役会所、至善堂には斉昭自筆の拓本や書がある、端正と剛毅が合わさった書は素人が見ても見事と思った。「遊於藝」の意味する水戸学の一端に触れ、実子で最後の将軍 慶喜が幼いころに学び大政奉還のあと、恭順謹慎生活を送った至善堂など興味深かった。

再建にご苦労された関係者に感謝。

 

千波湖湖畔の桜並木 ちょうど満開、青空に映えた

 

| 歴史・文化 | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
臨時認知機能検査と武田氏館

 3月初め団地の出口で一時停止違反、10数年前のシートベルト装着違反以来。サッサと違反金を払い込み、終わったと思っていたら、県免許センターから封書が届いた。75歳以上の交通違反は臨時認知機能検査が義務付けられたという。県免許センターは免許証紛失再発行で二度出かけて以来。10人ほどの受験者、この検査は免許更新で経験済み。しばらく待って結果が出た、満点は無理だがほぼ満足の結果で3時過ぎ放免。

 この制度は2017年3月に制定された、全く知らなかったが良いことだと思う。昨今、高齢者のひどい事故の報道が多い。後期高齢者の75歳以上が対象だが認知機能の衰えはもっと若い?年齢から始まる。対象年齢は60歳まで引き下げるべきではないか。違反者が多すぎて処理が大変になるのかな?

 

 水戸に出かけるのはコンサートが多く、ついでに何処かへという発想がない。この機会に前から気になっていた ひたちなか市 の甲斐武田発祥の地「武田氏館」を訪ねてみた。分かり難い団地の奥まったところに館があった。見学者は誰もなく係員が一人、説明しましょうと出てきてくれた。

 

 平安時代末期,源義家の弟義光は、常陸国への進出を図り、長男義業を久慈郡佐竹郷に、三男義清を那賀郡武田郷(ひたちなか市武田)に土着させ,義清は地名をとって武田と名乗り,武田氏の始祖となった。

義清とその子清光は,地方豪族との土地争いのすえ、甲斐国へ配流)となったが、その17代後に信玄が輩出された。

 義清父子が住んだ館の近くに建設された「武田氏館」は、この地が甲斐武田氏の発祥の地であることを広く知らせるために、鎌倉時代の地方豪族の館を再現したもの。母屋は主殿造りで,),納屋を整備し,館内には発祥の資料や武器・武具なども展示されていた。

 

入館料無料、ひたちなか市は粋なことをする。主殿造りの母屋

 

 

 

 

 

 

 

| 歴史・文化 | 18:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三昧塚古墳とその時代

 茨城県立歴史館で開催されている「三昧塚古墳とその時代」を見学した。

代表的な出土品が金メッキした冠。

 

金銅製馬形飾付冠(こんどうせいうまがたかざりつけかんむり)

 

この展示品の説明に「金メッキ」という説明が多くあってきになった。

説明員に聞くと水銀に金を溶かして塗工し水銀を蒸発させるアマルガム方式、水銀を塗工した後金箔を乗せ加熱して水銀をとばす。

奈良平安時代水銀中毒で大勢の職人が犠牲になった。また水銀は不老長寿の薬として珍重されたということも記憶にある。

 

昨年12月、常陸風土記研修旅行は茨城郡でこのとき三昧塚古墳を訪ねた。

石棺の右金色が金銅製馬形飾付冠。

 

以下は再掲。


三昧塚古墳 石棺の内部が描かれている

 たまたま読売新聞の「時代の証言者」大塚初重「古代日本を掘る」12月5,6日にこの古墳のことが書かれていた。
「昭和30年3月27日、古墳の土を防潮堤工事に使いさら地は水田にする工事が始まって緊急発掘の指示が出た。業者、住民の説得に苦労しながら発掘を進めた。4月中旬、未盗掘、無償の石棺が発掘された。石棺の脇には鎧・甲・馬具が副葬され蓋を開けると土のなかから金銅の冠、遺骸、鏡2枚。…三昧塚は東日本では相当に重要な古墳でした。立ち去る時、根本さん(宿泊宅)も区長さんも泣きながら手をいつまでも手を振っています。私も泣いて別れました。考古学をやっていて本当に良かった。」

| 歴史・文化 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
以沙平安京へ-3

 枕草子文学散歩三日目は御所から・・・パワーポイント2葉

 

この御所は徳川幕府が造営した、他にも修学院離宮、桂離宮、仙洞御所も徳川幕府による、文化面への貢献がもう少し評価されてもいいのではないだろうか

平安の才女、お二人はライバル意識が凄かったようだ

| 歴史・文化 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
以沙平安京へ-2

 以沙平安京へ、二日目のパワーポイント、数葉。 

 

定子と清少納言を偲んだ

大内裏中央やや右が内裏跡、枕草子の舞台だった

羅城門は平安京の入口、ここから幅84mの朱雀大路が大内裏まで続いていた。

 

| 歴史・文化 | 11:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
文学散歩;以沙(いざ)平安京へ

 「枕草子を読む会」の文学散歩は9月25〜27日の三日間京都のゆかりの地を歩いた。   


 9月25日(日)日立南IC 5:30発ー京滋バイパス・東宇治IC

  宇治平等院 木幡藤原氏墓所 平安神宮   宿泊 京都平安ホテル

 9月26日(月) ホテル 8:30発

  鳥戸野の定子陵 西寺・羅生門跡 神泉苑 朱雀門跡

  京都アスニー(造酒司跡、常設展、企画展、昼食、袿(うちき)・狩衣試着

  大極殿 内裏跡散策 上賀茂・下賀茂神社  宿泊 京都平安ホテル

 9月27日(火) ホテル 8:30発

  京都御所 盧山寺(紫式部の邸宅跡) 西本願寺

  京都東IC 草津Pで昼食 新名神-東名-圏央道 守屋SAで食事

 

季節外れで予想外の猛暑のなか、良く歩いた。 

 

級長としてパワーポイントでアルバムを作った。

初日の二葉

 

 

 

 

| 歴史・文化 | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
犬伏の別れ

 8月最後の日曜日、義父母の法事でかみさんの実家に出かけた。広間の祭壇で祭司は義兄と息子、法事の後、墓参りをすまして犬伏のあけみ寿司に移動。人気店のようで駐車場はほぼいっぱい、店内も賑わっていた。小上がりの和室が予約席、盛付けが綺麗な懐石風料理は味もなかなか。

 この店の道路を挟んだ前に小さな堂がある。NHK大河ドラマ「真田丸」名場面、「犬伏の別れ」の場だった薬師堂と言われている。六文銭の旗が立っていてお堂の扉には六文銭の幕がかけてあった。ドラマは見たがこのお堂では少々狭すぎる感じがする。

ネット情報では密議の場はもう一つあって、薬師堂から少し西に行ったところにある「大庵寺」、こちらのほうが規模も大きく密議には適しているとある。いずれにしても犬伏エリアが舞台になったということ。

 

 

 

 真田と言えば幸村、信繁というのはドラマで知った。十勇士の話ししか知らなかった。室町〜江戸の歴史は相当音痴。育った安蘇田沼の地と犬伏は目と鼻の先、高校の友人もいた。でも「犬伏の別れ」は知らなかった。古希を過ぎても身近なことで知らないことが多い、多すぎる。

| 歴史・文化 | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
富岡製糸場
 富岡製糸場は昨年世界遺産に登録されてから見学者が一気に増えたようだ。それほど興味はなかったがついでの折にでもと思っていた。甲府から八ヶ岳の麓を走って富岡まで良いドライブが出来そう、その近くに行ってみたい万葉の地と歌碑がある。ということで先ず製糸場まで約3時間、車は少なく快適なドライブ。近くの市営駐車場に車をとめ5分ほど歩いて入場口へ、連休明けというのに結構な人の列。
 1時半スタート一人200円のガイドツアーに参加した。20人ほどでガイドの説明をイヤホーンで聴く。団体も多く目立った外装のガイドがあちこち沢山、連休中の人混みさぞかしと思われた。45分ほどの案内で一通り見学した。明治5年創業という、時の政府が近代化をめざし、凄いスピードで西洋の技術を導入したエネルギーに驚く。赤ワインを女性の生血と勘違い、工人の募集に苦労した、労働条件は良く配慮され女工哀史とは無縁だった、建物の工法、導入設備など興味深いこと様々。一見に値した。


正門の正面にある東置繭所、アーチ中央に明治五年とある

 29日の大河ドラマ「花燃ゆ」では富岡製糸所が舞台、存亡の危機を巡るドラマだった。
| 歴史・文化 | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
修学院離宮
 宮内庁京都事務所は京都御所の清所門から直ぐ。御所見学の後ここに立ち寄り修学院離宮の見学を申し込んだ。離宮の見学はネットか1ヶ月前に葉書で申し込む、直接京都事務所に出向き翌日以降の空きがある場合に可。離宮の門前には2度行って、何とか見学したいと思っていた。ネットを見たら11月まですべて満席、葉書は期限切れ、残されたチャンスは直接事務所での申請。
 事務所には外人客も多い、少し待って窓口へ。明日9時半と希望を言ったら簡単にOK、申請書を書き押印されて終了。可能性低いかなと思っていただけに以外、あきらめず直接事務所窓口へ行くことがお勧めなのかもしれない。

 翌朝、娘に送ってもらい受付へ。この日は男性職員のガイドがついてくれた。離宮は54万5千屬塙く、下・中・上離宮に分かれていてその間は宮内庁農園になっている。最初は下離宮の御幸門から寿月観と庭園を見学してから農園の松並木を歩き中離宮へ、さらに松並木を通って小高い上離宮まで。石段を登ると隣雲亭に着く。ここから見下ろす浴龍池と京都の遠景は何とも贅沢な景観。ゆっくり絶景を眺めてから池を廻って表門まで約1時間の見学終了。やっと念願果たせた、見応えあった。


下離宮、寿月観

中離宮、大小5枚の棚板が霞がたなびいているように見える客殿の霞棚

上離宮、隣雲亭から浴龍池を見下ろす、ず〜と左に京都市街が見下ろせる

解散の表総門、色付き始めていた

 建物、庭、池などの名称が良く考えられている、誰のネーミングなのだろうか。ここを造園した後水尾上皇は年に数度しかここを訪れなかったと説明があった。これだけの離宮を造園させた上皇の力とそれを受けた徳川幕府、御所最後の再建も幕府。宮廷と幕府の関係が偲ばれた。
 
| 歴史・文化 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
京都御所
 古典を読む会は4月から「枕草子」。中宮定子と清少納言のサロンは御所の清涼殿。京都御所はずいぶん前一般公開時に見学したことがあり、清涼殿もうっすら記憶にある。枕草子を読み始めてもう一度御所を見学したいと思った。宮内庁のHPで見学を受け付けている、申し込んだら希望日時で簡単に予約が取れた。
 13日、長女宅近くのバス停から市バスで府立病院まで、御所の南を散策しながら集合場所の清所門に1時20分着。
御所職員女性ガイドの説明を聴きながら1時半スタートの1時間コースを歩いた。御車寄、紫宸殿、清涼殿、御池庭など丁寧な説明があり、質問にも的確に対応して頂いた。
 平安京は「うぐいす鳴くよ」(794年)に長岡京から遷都され、今の京都市街の中心地に造営された。その後何回もの火災で再建され、現在の御所は里内裏(火災時などの仮御所)の一つで1331年光厳天皇がここで即位され、明治2年の東京遷都まで皇居とされた。
この間幾度となく火災と再建を繰り返し、安政2年(1855年)に再建されたものが今のもの・・・というのがパンフレットの抜粋。


承明門から紫宸殿を見る

紫宸殿、一面の白砂の手入れが大変とガイド嬢

 そうとは知らず、清涼殿の前でガイド嬢に中宮定子のサロンはと聞いてしまった。考えてみれば千年以上前の建物があるわけはなく、当時の場所でもなかったわけだ。ロマンを感じようと思ったのがついえた感じ。それにしても何回もの火災にもめげず不死鳥のように目の前にあることに感慨ひとしおだった。


清涼殿、右は呉竹(くれたけ)左に漢竹(かわたけ)がある

中央右に天皇がご休息になられる御帳台

御池庭、我が物顔の烏が多い

 京都・奈良などの寺社名所旧跡は入るのにそれなりのお金が必要でガイドは期待できない。それに比べて宮内庁管轄は無料でガイド付き、お勧めだ。
 

 
| 歴史・文化 | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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