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高椅神社 包丁式

 10月6日、東歌・防人歌を読む会の講師・仲間7人で小山市にある高椅(たかはし)神社で執り行われた「庖丁式」を見学に出かけた。

この神社は鯉の明神さま、料理の祖神、立派な楼門で知られている。

 

楼門と出店、修復中の楼門は来年5月完成式予定

 

庖丁式は楼門を背にした特設舞台で、雅楽が奏されるなか庖丁と箸を使い食材の鯛に手を触れないで捌くという珍しい儀式、全日本調理師会会長が式を務めた。

 

庖丁式、雅楽奏者は地元の有志 笙もあり本格的

 

 12時開始の庖丁式前後に、神楽殿で太太神楽が演舞された。

10時半から神社宮司が「四方固め」の奉納、13時から「猿田彦の舞」に始まり全12座が16時半まで演舞される。

 

「猿田彦の舞」笛太鼓に合わせて天狗の面で舞う

 

 次の予定もあり、この舞を観て神社を辞した。

 

| 歴史・文化 | 11:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
水戸の史跡、博物館、美術館

 大学OB会12名で水戸の弘道館、県立歴史博物館、近代美術館を訪問した。

弘道館は、水戸観光コンベンション協会にボランティアガイドをお願いした。通常1時間コースを1.5時間にして水戸一高にある薬医門まで見学した。正庁・至善堂の斉昭・慶喜に関する様々な学風・資料を見学し、猛暑の外回りを軽快なボランティアの説明で予定の1.5時間をさらにオーバーした見学会だった。

 

薬医門、いろいろあってここに移築されたようだ

 

「イル・バンカーレ」で昼食をとってから、県立歴史博物館に移動、学芸員から特別展「三昧塚古墳と船塚古墳」の説明を受けた。「金銅馬形飾付透彫冠」は二度目だが相変わらず見応えあった。

最後は県立近代美術館、ここもボランティアガイドをお願いした。ベテランと新人、ベテランの説明は堂に入っていた、途中から二手の分かれ閑人は新人についた。この日の特別展は「開館30周年記念 茨城近代美術の精華尭本芸術院会員5人展」、川崎普照、蛭田二郎、那波多目功一、山本文彦、能島征二、すべて知らない五人だったが全101点の作品は見応えあった。

 

 

 

 高齢者も何人か、早い梅雨明け猛暑のなかテンコ盛りのバス研修が無事に終わったことは責任者として何よりだった。個人バスを提供運転して頂いたFさんには感謝。

| 歴史・文化 | 21:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
上野三碑

 常陸風土記を読む会が昨年7月終了、9月から万葉集の東歌・防人の歌を読む会になった。メンバーは多少入れ替わったがM先生は変わらず、幅広い知識で解説する万葉歌はこれまでの解説とは少し違って何か新鮮、楽しい会だ。

 読む会は前期後期各10回、今は前期で期中2回バス研修がある。12日は前期最初の研修、群馬県高崎市周辺の「上野三碑」と古墳巡り。この研修のキーワードは「多胡」と思う。

三碑は昨年10月、ユネスコ「世界の記憶」に登録された。三碑のなかで「多胡碑」が兄貴分。閑人は万葉集のなかで好きな歌の一つ、「吾が恋は まさかも悲し 草枕  多胡の 入野の 奥も悲しも」の歌碑がある山上碑に惹かれていた。

 

万葉歌碑 万葉学者「中西 進」はこの歌が万葉集のベストといった

 

 最初に訪問した三碑は「金井沢碑」、726年 豪族の三家氏が先祖供養と子孫繁栄を願って建てたもの。安山岩の自然石に112字が刻まれている。予報通り雷雨、雨宿りを兼ねて多胡碑記念館へ、学芸員から三碑の説明を受け雨上がりの「多胡碑」を見学。711年、中央政府の命でこの地に「多胡郡」が設置されたことを記念した石碑。この後、山上碑へ移動。ここは二度目、万葉歌碑を見てから階段を上り小さな古墳の脇にある碑を見学。長利という僧が母親の供養のために建てたもの。三碑のなかでは最も古い681年に建てられ、完全な形で残る石碑では日本最古とされる。古墳にももぐって石室を見学した、石の不動明王像が祭ってあった。

 

金井沢碑 三家氏が祖先の供養、一族繁栄を祈るために造立した碑

多胡碑 中央政府の命で三郡内から三百戸を割き、新たに多胡郡を建てたことの記念碑

山上碑 日本最古の石碑 天武天皇時代に造立

 

 三碑見学の前に保渡田(ほとた)古墳群を訪れた。二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の前方後円墳が隣り合っている。石積みの八幡塚古墳の前に、当時の様々な儀式の様子を埴輪で表した区画があり興味深かった。この古墳と二子山古墳は堀のなかに4ッの中島が造られている。風土記の研修でいろいろ古墳を見てきたが、中島があるのは初めて。葬送儀礼が行われた場所ではないかとあった。

八幡塚古墳は全長190m、二子山は213mと大規模古墳。往時の上野国豪族の勢力は偲ばれた。

 

八幡塚古墳 5世紀後半に築造、右端に中島が見える

八幡塚古墳の前にある埴輪群、宴会や狩猟の様子を表している

| 歴史・文化 | 23:55 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
水戸弘道館

 地区福祉委員の研修会に参加した。市バスで水戸弘道館・黄門神社・県立近代美術館を巡った後 千波湖を散策するコース。

弘道館は3.11で大きく破損した、修復中に梅を観に訪れた。2014年 4億7千万かけた修復工事が完了した、どんな状態に復旧したのか見たいと思っていた、良い機会と研修会に参加した次第。

 10時20分、ボランティアガイドのWさんが自己紹介、昭和4年生まれとのこと、14年じゃないのと聞いてしまった。名解説のもと約1時間、玄関前 斉昭夫人由来の左近の桜のあと館内を案内してもらった。

 

綺麗に修復された正門

左近の桜;天保2年(1831年)斉昭夫人の登美宮(とみのみや)降嫁の折、仁孝天皇から京都御所の左近の桜の鉢植えを賜ったことにさかのぼる。

今の桜は3代目

 

この藩校は水戸藩第九代藩主 斉昭が1841年に開設した。正庁正席の間、諸役会所、至善堂には斉昭自筆の拓本や書がある、端正と剛毅が合わさった書は素人が見ても見事と思った。「遊於藝」の意味する水戸学の一端に触れ、実子で最後の将軍 慶喜が幼いころに学び大政奉還のあと、恭順謹慎生活を送った至善堂など興味深かった。

再建にご苦労された関係者に感謝。

 

千波湖湖畔の桜並木 ちょうど満開、青空に映えた

 

| 歴史・文化 | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
臨時認知機能検査と武田氏館

 3月初め団地の出口で一時停止違反、10数年前のシートベルト装着違反以来。サッサと違反金を払い込み、終わったと思っていたら、県免許センターから封書が届いた。75歳以上の交通違反は臨時認知機能検査が義務付けられたという。県免許センターは免許証紛失再発行で二度出かけて以来。10人ほどの受験者、この検査は免許更新で経験済み。しばらく待って結果が出た、満点は無理だがほぼ満足の結果で3時過ぎ放免。

 この制度は2017年3月に制定された、全く知らなかったが良いことだと思う。昨今、高齢者のひどい事故の報道が多い。後期高齢者の75歳以上が対象だが認知機能の衰えはもっと若い?年齢から始まる。対象年齢は60歳まで引き下げるべきではないか。違反者が多すぎて処理が大変になるのかな?

 

 水戸に出かけるのはコンサートが多く、ついでに何処かへという発想がない。この機会に前から気になっていた ひたちなか市 の甲斐武田発祥の地「武田氏館」を訪ねてみた。分かり難い団地の奥まったところに館があった。見学者は誰もなく係員が一人、説明しましょうと出てきてくれた。

 

 平安時代末期,源義家の弟義光は、常陸国への進出を図り、長男義業を久慈郡佐竹郷に、三男義清を那賀郡武田郷(ひたちなか市武田)に土着させ,義清は地名をとって武田と名乗り,武田氏の始祖となった。

義清とその子清光は,地方豪族との土地争いのすえ、甲斐国へ配流)となったが、その17代後に信玄が輩出された。

 義清父子が住んだ館の近くに建設された「武田氏館」は、この地が甲斐武田氏の発祥の地であることを広く知らせるために、鎌倉時代の地方豪族の館を再現したもの。母屋は主殿造りで,),納屋を整備し,館内には発祥の資料や武器・武具なども展示されていた。

 

入館料無料、ひたちなか市は粋なことをする。主殿造りの母屋

 

 

 

 

 

 

 

| 歴史・文化 | 18:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
三昧塚古墳とその時代

 茨城県立歴史館で開催されている「三昧塚古墳とその時代」を見学した。

代表的な出土品が金メッキした冠。

 

金銅製馬形飾付冠(こんどうせいうまがたかざりつけかんむり)

 

この展示品の説明に「金メッキ」という説明が多くあってきになった。

説明員に聞くと水銀に金を溶かして塗工し水銀を蒸発させるアマルガム方式、水銀を塗工した後金箔を乗せ加熱して水銀をとばす。

奈良平安時代水銀中毒で大勢の職人が犠牲になった。また水銀は不老長寿の薬として珍重されたということも記憶にある。

 

昨年12月、常陸風土記研修旅行は茨城郡でこのとき三昧塚古墳を訪ねた。

石棺の右金色が金銅製馬形飾付冠。

 

以下は再掲。


三昧塚古墳 石棺の内部が描かれている

 たまたま読売新聞の「時代の証言者」大塚初重「古代日本を掘る」12月5,6日にこの古墳のことが書かれていた。
「昭和30年3月27日、古墳の土を防潮堤工事に使いさら地は水田にする工事が始まって緊急発掘の指示が出た。業者、住民の説得に苦労しながら発掘を進めた。4月中旬、未盗掘、無償の石棺が発掘された。石棺の脇には鎧・甲・馬具が副葬され蓋を開けると土のなかから金銅の冠、遺骸、鏡2枚。…三昧塚は東日本では相当に重要な古墳でした。立ち去る時、根本さん(宿泊宅)も区長さんも泣きながら手をいつまでも手を振っています。私も泣いて別れました。考古学をやっていて本当に良かった。」

| 歴史・文化 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
以沙平安京へ-3

 枕草子文学散歩三日目は御所から・・・パワーポイント2葉

 

この御所は徳川幕府が造営した、他にも修学院離宮、桂離宮、仙洞御所も徳川幕府による、文化面への貢献がもう少し評価されてもいいのではないだろうか

平安の才女、お二人はライバル意識が凄かったようだ

| 歴史・文化 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
以沙平安京へ-2

 以沙平安京へ、二日目のパワーポイント、数葉。 

 

定子と清少納言を偲んだ

大内裏中央やや右が内裏跡、枕草子の舞台だった

羅城門は平安京の入口、ここから幅84mの朱雀大路が大内裏まで続いていた。

 

| 歴史・文化 | 11:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
文学散歩;以沙(いざ)平安京へ

 「枕草子を読む会」の文学散歩は9月25〜27日の三日間京都のゆかりの地を歩いた。   


 9月25日(日)日立南IC 5:30発ー京滋バイパス・東宇治IC

  宇治平等院 木幡藤原氏墓所 平安神宮   宿泊 京都平安ホテル

 9月26日(月) ホテル 8:30発

  鳥戸野の定子陵 西寺・羅生門跡 神泉苑 朱雀門跡

  京都アスニー(造酒司跡、常設展、企画展、昼食、袿(うちき)・狩衣試着

  大極殿 内裏跡散策 上賀茂・下賀茂神社  宿泊 京都平安ホテル

 9月27日(火) ホテル 8:30発

  京都御所 盧山寺(紫式部の邸宅跡) 西本願寺

  京都東IC 草津Pで昼食 新名神-東名-圏央道 守屋SAで食事

 

季節外れで予想外の猛暑のなか、良く歩いた。 

 

級長としてパワーポイントでアルバムを作った。

初日の二葉

 

 

 

 

| 歴史・文化 | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
犬伏の別れ

 8月最後の日曜日、義父母の法事でかみさんの実家に出かけた。広間の祭壇で祭司は義兄と息子、法事の後、墓参りをすまして犬伏のあけみ寿司に移動。人気店のようで駐車場はほぼいっぱい、店内も賑わっていた。小上がりの和室が予約席、盛付けが綺麗な懐石風料理は味もなかなか。

 この店の道路を挟んだ前に小さな堂がある。NHK大河ドラマ「真田丸」名場面、「犬伏の別れ」の場だった薬師堂と言われている。六文銭の旗が立っていてお堂の扉には六文銭の幕がかけてあった。ドラマは見たがこのお堂では少々狭すぎる感じがする。

ネット情報では密議の場はもう一つあって、薬師堂から少し西に行ったところにある「大庵寺」、こちらのほうが規模も大きく密議には適しているとある。いずれにしても犬伏エリアが舞台になったということ。

 

 

 

 真田と言えば幸村、信繁というのはドラマで知った。十勇士の話ししか知らなかった。室町〜江戸の歴史は相当音痴。育った安蘇田沼の地と犬伏は目と鼻の先、高校の友人もいた。でも「犬伏の別れ」は知らなかった。古希を過ぎても身近なことで知らないことが多い、多すぎる。

| 歴史・文化 | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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