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宇佐神宮から国東
 九州平家文学散歩の最終日は別府の宿を発って宇佐神宮から国東半島。
宇佐神宮の駐車場から参道を少し歩くと山頭火の句碑がある。


松から朝日が赤い大鳥居」「春霜にあとつけて詣でる」
宇佐神宮に参拝した時の句、でもこれが俳句? 漂白・自由律の俳人面目躍如。


本宮

 ここは4万社あまりある八幡さまの総本宮。小雨のなか外宮から本宮へ歩く、参拝は2拝4泊1拝どうしてなのかは分からない。


焼酎酒蔵からの奉納?

宇佐神宮と平家、屋島の戦いで敗れた平家の総大将平宗盛らは安徳天皇と共に宇佐神宮を頼ったが豊後の緒方惟義が源氏方についたことで庇護しきれなかった。その後壇ノ浦で滅亡した。宇佐で行く末を悲観した平家の何人かは、軍を離脱して今の落人部落に住み着いたのかななどと勝手に想像した。

 この後、国東半島に入り先ず国宝の富貴寺阿弥陀堂と阿弥陀如来像を見学。すぐわきの「蕗薹」で昼食、蕎麦御膳の二八はしっかり香りがあり素晴らしい蕎麦だった。追加の一枚と女性から少し食べてという分まで二人半ほどをしっかりいただいた。
豊後高田の蕎麦粉とか、京都の「甚六」は大分と宮崎の蕎麦粉が多い、なるほどこれかとガッテンした。


富貴寺阿弥陀堂脇の石仏

 最後の訪問は「両子寺(ふたごじ)」、前に行けなかった奥の院もお参りした。印象に残っている仁王門は時間切れ、残念。


両子寺奥の院

時間を気にしながら大分空港まで走り、皆さんとお別れして空港レンタカーにPUしてもらい祖母山の登山口、竹田の神原(こうばる)まで走った。
| 平家物語 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
別府の宿で地魚堪能
 竹田の岡城跡を散策した後、臼杵石仏(磨崖仏)を見学した。60余体の大半が国宝との説明、平安時代後半から鎌倉時代につくられたという。石仏は四群に分散して造られている。頭の落ちた釈迦如来は修復されて、以前の姿の写真が飾られていた。修復前の方が有難味がありそうとは先生の弁。
中国に三大石窟がある。敦煌と大同の雲崗を観たがこれらのスケールにははるかに及ばない、でも九州でこれだけの磨崖仏が彫られたというのは興味深い。


品の良いお釈迦様

首が落ちた大日如来、威厳がある

 石仏見学後別府まで走る、幹事の強い希望で地獄めぐり、と言っても時間がなく白池地獄と血の池地獄の二か所を見学して宿へ。
別府の湯にゆったりつかり、宴会場へ。平家文学散歩はこの晩が最後、別府といえば関鯖・城下カレイ。別途特別注文、事前にどちらかを選択することになっていた。大皿にそれぞれ結構な量が盛られている、カレイには肝もたっぷり。7‐8人には十分、鯖はどうもという御人もいて鯖好きにはしめしめ、数切れづつということで最初は遠慮がちに、そのうちたっぷり残りそうな雰囲気になって選択外のカレイも肝だれでいただいた。たっぷりのアルコールとともに満足!満足!!の別府の夜だった。


血の池地獄、酸化鉄成分が溶け込んで赤い泉質


| 平家物語 | 14:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
平家文学散歩:高千穂
 高千穂の焼酎造り酒屋訪問は先生のお目当てだったが試飲・酒蔵見学などは無い、残念、この蔵の焼酎が試飲できる道の駅を紹介され明日の楽しみとした。天岩戸神社は近い、5時過ぎていたが幹事の剛腕で神主を引っ張り出し、宮司の説明で天岩戸見学。神社裏手に見学ルートがあり神主同行でないと入れない。軽妙な説明で岩戸を見学、渓谷の向こうの雑木の繁みのなかに岩の割れ目がある、御神体の岩屋。いわゆるパワースポットなんだろうが凡人の身には残念だが何も感じない。この後沢沿いに500mほど歩くと天安河原に出た。岩屋に隠れた天照大神を巖から出てもらうため神々が集まって相談した場所ということだ。鳥居のある暗い洞窟の周辺にはケルン状に積まれた石が並び、岩屋よりははるかに神秘的な雰囲気があった。


この拝殿の後ろが御神体の天岩戸

天安河原、神々が集ったような雰囲気は感じた

 高千穂神社は宿から近い、慌ただしく食事を済ませて夜神楽見学。素戔嗚尊、天鈿女命、イザナギ・イザナミの国生みなどの神楽をお神酒と称してちびちびやりながら楽しんだ。


夜神楽、素戔嗚尊

 翌朝、宿から高千穂神社裏手の山道を歩き高千穂峡のボート乗り場まで、結構ハードな散歩。良く写真で見る滝の落ちる渓谷を3人乗りのボートで30分往復。漕ぎ手がいないということでもう一往復。良い運動だったがくたびれた。写真のイメージからはややスケールが小さいがなかなかの景観を楽しんだ。


橋の上から、滝の上に池がありチョウザメが泳いでいた

奥がボート乗り場

 宮崎県には南にもう一つ霧島連山の高千穂の峰がある。天孫降臨はどっちだったのだろう、本居宣長の古事記伝によると、はじめに天孫が降臨した場所は西臼杵郡の高千穂後に霧島に移ったということだ。
これからの霧島登山では韓国岳と高千穂の峰にも登って天孫降臨が北か南か確認してみたい。
| 平家物語 | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
平家文学散歩;五家荘
 九州前半の平家文学散歩は壇ノ浦から始まったが残念ながらここは不参加、メインディッシュを食べ損ねた感じで2日からスタート。
最初が平家落人の里、五家荘。松橋ICを下りてしばらく走り、小型バスに乗り換えた。沢沿いの藤がきれいな山道を走ることしばし、落人のイメージが残る村落を見下ろしながら峠を下ると「せんだん轟の滝」、少し先に左座(ぞうざ)家。菅原道真の嫡男が藤原時平に追われ逃げ込んで住み着いたところ、49代当主というおじいさんが窓口に座っていた。大きな茅葺屋根、庭に知らない椿が咲いていた、五霊の椿と先生から教えてもらった。


小型バスに乗り換えてしばらくで出てきた景観、山深い山村集落

左座家に咲いていた五霊の椿、岩間町にもあると先生に教えてもらった

狭い山道を走って次が緒方家、平清経の子孫が住み着いたとされる。五家荘由来の案内板があった。清盛の孫、清経がこの地に逃れ、5本の矢を射て仁田尾、樅木、椎原、葉木、久連子に集落に住居を決めたという。五つの集落を総称して五家荘と呼んだとある、なるほど。深い谷には吊り橋が幾つか、樅木の吊り橋を車窓に見ながら平家の里へ。鮮やかな朱色の神楽殿や資料館はあまり有難味を感じない。ここの古民家で昼食、ヤマメ塩焼きと山菜などで遠慮なくビールを戴いた。


平家の里、能舞台 他に資料館など

この辺はヤマメの里でもあるらしい、山菜などを摘みにたっぷりビールを頂いた

 この後、石造りアーチの水道通潤橋を見て高千穂まで走った。


アーチの中央両サイドから放水がある、事前予約で1万円とか

「稗つき節」は五家荘の民謡で平家落人姫と那須与一弟か息子の悲恋物語と思っていた、少し詳しく教えてもらおうと五家荘住人の何人かに聞いてみたが期待した答はもらえなかった。帰ってネットで調べてみた。

日本の伝説:角川書店より「那須与市の弟、大八宗久の平家追討は、日向から耳川ぞいに椎葉に入り、この地の平家残党や平清盛の末孫鶴富姫との情愛と変り、いつしか三年の歳月を過ごした。これは源頼朝の意に反するところで、兄の与市は弟の大八宗久を呼ぴ戻し、自分の嫡子那須小太郎宗治に再ぴ平家追討を命じた。宗治一行は砥用(ともち)から柿追を経て岩奥にたどりついた。当時、岩奥には落ちのぴていた平家の官女で美人の鬼山御前(扇の的の舳先に立っていた玉虫御前と言われる)と久茂(くも)の姉弟がすでに居住していた。宗治らを出迎えた鬼山御前らは自分達の仲間である平家一族がこの岩奥からさきの山奥に隠れ住んでいるのではないかと心配し、宗治らに板木村から先は道もなく、人の住めるような所ではないと進言して、保口から一歩も奥へ行かせなかった。鬼山御前は宗治らを岩奥の地に引き留め、心からもてなすうちに那須大八司様に源氏の追討組と平家側との敵同志が融和して、ほどなく鬼山御前は那須与市の嫡子那須小太郎宗治の妻となり、この地に住みついたと言われ、現在、保口地区の那須家三軒はいづれもその子孫と言い伝えられている。」

 これで納得、稗つき節三番と四番の歌詞からこの民謡は大八と鶴姫の悲恋のお話で場所は五家荘から東に山を越えて10数kmの宮崎県の椎葉村。五家荘は息子小太郎と鬼山御前のお話だった。
良く知られる稗つき節一番、二番の後の歌詞
「那須の大八 鶴富おいて 椎葉たつときゃ 目に涙 」
「和さま平家の 公達ながれ おどま追討の 那須の末よ」
| 平家物語 | 09:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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