CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
<< グラッパ(grappa)とマール(Marc) | main | 無題 >>
旧白洲邸 武相荘
 南伊豆の帰りに長津田の次女の所に一泊した。少し前に読んだ「白洲次郎」に出てくる鶴川が近いので翌日行ってみることにした。鶴川駅から調布に向かって少し走った左手に旧白洲邸があった。
 入場料千円を払ってなかに入ると左手に売店、隣の休憩所には次郎が作ったというキャスターつき囲炉裏が置いてある。長屋門をくぐると昭和の始めにタイムスリップしたような茅葺屋根の農家が見えた。終戦後の食糧難を予言して昭和15年にこの家を買い百姓をやるというのはすごいことだが、どうやらこの家に決めたのは奥さんの正子のようだ。当初は雨漏りや、床が抜けるような家に時間をかけ手を加えて今見るようになった。
 次郎は18年に越してきて田んぼ5反、畑3反で百姓に専念した。ブガッティやベントレイに乗っていた人がよくそんな転進が出来たなと思うのは凡人の思いなのだろう。ただ20年暮れには中央でGHQを相手に大活躍をするわけだからこの時期百姓に専念していたのは比較的短い。

 この家は奥さん正子の想いで手が加えられた。精神的な贅沢さに溢れているように思う。
奥の北向きの暗い書斎で正子の膨大な日本文化、骨董などの随筆、多彩な交友録が執筆された。でも夏の暑さ、虫、冬の寒さはとつい考えてしまう。50年前は何もなかったのが普通なのに。

 昭和を代表する文人達と酒を酌み交わした囲炉裏を見ながら、中央ににらみをきかせたカントリージェントルマン「風の人・野人」と「韋駄天お正」の世紀のカップルにしばらく思いを馳せた。
同時に8反の田畑はユニクロや宅地になったのか、つい最近まで暮らしていた家が公開されるとはお二人とも夢思わなかったのではないか、でもこれも英傑の証なのだろう。

 武相荘:武蔵と相模の境にある地ということだ、でも。

 第一ギャラリーの前にさりげなく下がっていた
   

| 歴史・文化 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://ky.roof-8.com/trackback/296366
トラックバック
京都取寄
京都取寄の便利な情報掲載サイト
| 京都取寄案内 | 2006/12/15 2:54 PM |